オーケストラとパワーハラスメント

オーケストラとパワーハラスメント

「パワーハラスメントとは職権などのパワーを背景にして、本来業務の適正な範囲を超えて、継続的に人格や尊厳を侵害する言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安をあたえる」と定義されている。

 厚生労働省が示したパワーハラスメントの6つの典型例の一つに「脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)」がある。 

 さて、N響の90年近い歴史の中で1936年から10年間指揮をとったローゼンストックは厳しい練習で団員を恐れさせたことで有名で、当時の団員から「あの人の指揮法は或いは残酷といってもよいほどだった」とか「練習では少しのミスでもよく怒った。どなってタクトをぶん投げた」とかいわれている。一面「あの頃の定期演奏会では私達はみんなが決死のつもりで演奏したといっても過言ではない程、身の入れ方もすごかったですよ。これさえよく出来れば死んだって構わんと云った意気込みでしたね。正にローゼンストック先生とメンバーの闘いでした」とも回想されている。

 その「ローゼンストックの何十倍も怖い人」と岩城宏之に言わしめたシュヒターが1959年からN響常任指揮者として登場しN響を制圧する。そして1962年退任するまでの3年間に実に団員の3分の1を首にした。演奏が気に入らないと頭にきて怒鳴る、そのパートを偏執的なまでにやりなおさせる。「あまりの練習の厳しさにノイローゼのようになり、本番の前の晩、睡眠薬を飲み、明け方から呼吸困難になって、ついに夕方亡くなった楽員があった。自殺かもしれないという噂も出たが、とにかく楽員全員が、シュヒターの完璧主義の前に異常な緊張状態で一年中過ごした。」と岩城宏之は著書の中で回想している。

そしてN響の技術水準は飛躍的に向上したのも事実であろう。

(以上は佐野之彦著「N響80年全記録」、岩城宏之著「チンドン屋の大将になりたかった男」、原田三朗著「オーケストラの人びと」から引用させていただいた)。

 

 50年以上前の事だから今のようにパワーハラスメントが問題にならなかったし、労働組合もなかったので、とにかくシュヒターが3年の契約を終わって帰国したときは、楽員誰もがやれやれとホッとしたそうである。今だったらどうなっていただろうか。

 近年、神奈川フイルのコンバス首席奏者2人の楽員が解雇され、不当解雇として横浜地方裁判所に訴えた事件では一審は原告が勝利したと聞いている。裁判沙汰はもとより、学校のクラブ活動でもハラスメントが大きく取り上げられる世の中で、シュヒターのやり方が今ではとても通用するとは思えない。しかしオーケストラは簡単に言えば芸人の集団である。100人近い団員の一人でも間違えれば夢のような世界はぶち壊されてしまう。そんなことが度重なればお客は減り、オーケストラは経営難になるだろう。だから淘汰されるのはやむを得ない。プロの道は厳しい。

 一方でカラヤンを40日間N響指揮者として招聘した1954年に指揮研究員としてカラヤンに指導を受けた岩城宏之によると「カラヤンは常に静かにリハーサルをした、誰もがみんなの前で恥をかかず、カラヤンの意図どおりに、まるで彼らがやったような自主的な気持ちになって音楽できた」と云う。

「みんなの前で誰かひとりを徹底的にやっつけてしまう独裁者ぶる指揮者は無数にいる。カラヤンのようだと、みんな安心して快適に演奏することができた」とも書いている。

 そして重要なことはシュヒターが残した演奏のレコードをきいた原田三朗が「アインザッツはよく合っているし、全体の音も合っているが、かんじんの音楽性が感じられない。音楽の解釈は平凡で、音楽も単調でつまらないのである。」と書いていることである。

 団員をしごいてしごき抜けばよいものではないようだ。指揮者とは大変な職業である。

 

 ひるがえってアマオケの立場はどうだろう。

 団員はそれぞれ社会で立派に職業を遂行しながら、オーケストラの魅力に執りつかれて、夢を持ち続けて集まってくる人たちである。しごかれにやってくるわけではない。難曲に技術が追い付かず間違えた時はうまくやっている仲間に申し訳ないと思うが、上手な指揮者に乗せられてうまく出来ちゃったときの喜びはたとえようもない。

そして区切りをつけるために演奏会を開き、皆さんに聴いていただくのである。

 先日、溝口の市民ホールで川崎マンドリン倶楽部の第73回定期演奏会を聴いた。戦後まもなく高校の先生をしておられた市川先生が同好の士を集めて結成し、一年に1回のペースで練習の成果を市民にご披露している団体である。

 市川先生は器用な方で、戦後、ファゴットが手に入らなかった時代に、ご自分でコピーをして設計図をつくり、材料をさがし、学校の旋盤を回して加工し、ついに手製のファゴットを作り上げたことで当時有名であった。(そのファゴットは新響で息子さんが永く愛用していた。)

 マンドリン倶楽部も先生亡き後はご子息が指導指揮をしている。オーケストラと同じくマンドーラ、マンドーチェロ、ギターにコンバス木管4部にトランペット、打楽器を加えたフル編成のマンドリンオーケストラにプロのギタリストを独奏者に招いた本格的な演奏会である。演奏会は特にマンドリンの右手のトレモロが美しく、指導が隅々まで行き届いた見事な演奏で、司会も含めて心温まる演奏会であった。そして入場料は無料である。私はここにアマオケの原点を見た思いがした。

 

 パワーハラスメントから脱線したが、プロとしてオーケストラプレ-ヤーになろうとする人にはそれだけの覚悟をしていただくしかない。淘汰されるべき人はやさしく扱われたとしても所詮淘汰されることに変わりはない。音大もそれなりの教育(職業選択肢を幅広く設定できるような)をすべきではないだろうか。

 それにしても日本では多くの指揮者がローゼンシュトックに傾倒した斎藤秀雄の門下から輩出しているためどうしてもローゼンさんのスタイルを継承している方が多いように私には感じられる。その孫弟子たちも同じである。しかしアマオケに対する場合は注意深く言葉を選んでカラヤン、コバケンさんの流儀でお願いしたいと思う。今はこのハラスメントと云うことに敏感な時代なのである。

One Comment

  1. 横浜交響楽団さま

    はじめまして。オーケストラ関係のHPを見ていましたら、ここにたどりつきました。川崎マンドリン倶楽部の演奏会にお越しくださり、ありがとうございます。私は司会で20年ほどご一緒させていただいております。温かい演奏会だと評していただき嬉しいです。ソリストでギターの北村さんは、昭和音大にお願いし、首席卒業のギタリストをご推薦いただき、見事な演奏を披露してくれました。管楽器は川崎市民交響楽団からの賛助出演、打楽器は地元の洗足音大の卒業生です。多くの皆様に支えられて、2年後には創立70周年(昭和23年創立)になります。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

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