放送 BS151 8月23日(日)20:00~20:46
「オーケストラっておもしろい」
企画、解説:一枝 成彰
指揮:小林 研一郎
演奏:東京交響楽団
問:なぜオーケストラに指揮者が必要か?
一枝:無くてもできる場合もある。小編成のオーケストラで指揮者無しでやる場合もある。しかし40人~50人と大勢になるとどうしても揃わない。どうしても指揮官が必要になる。そして、まとめると同時に音楽の作り方が指揮者により異なる。たとえば同じベートーベンの第5交響曲の演奏(時間)がフルトベングラーは45分、トスカニーニは25分と異なるがこれは音楽の作り方が両者違うからである。
問:指揮者とオーケストラの関係
小林:心がけていることはオーケストラ全体が炎となってある地点を超えて崇高なところで眩く輝くためにどうしたらいいかということなんです。(手を横に出して)この辺で音を出して、合っていたって云うんじゃお金は取れません。来て下さった方を満足させることは出来ません。それからオーケストラ自身も満足しないでしょう。すべての人が満足しない世界に誘いたくはないのです。となると、共有する空間が1秒たりとも心の中で沸々と滾る(たぎる)時間帯になるためにどうするかということが(リハーサル)の目的です。だからリハーサルにもいろいろ策を用いることもあります。
問:オーケストラ団員とはどういう人でしょうか?
小林:一言で云うと天才の集団です。その楽器を持たせたらおそらく世の中で自分に匹敵する者は居ないだろうと云うくらい自信を持っていて、そしてオーケストラをとても愛していて、ソリストとして成り立うとしているのではなくて、オーケストラという機能美の中に自分の身を置くことによって自身を極めることが出来るという高邁な精神に満ちている方々です。したがって(リハーサル中に)指揮者がいろいろなことを云うと、どこかの言葉の中で(その人を)傷つけてしまうような言葉が飛び出ないとは限らない、ですよね。それは人生を過ごしてきた人に、なにかイチャモンをつけるよう(なこと)にならないようにしないと、作曲家によって書かれた眩い宇宙のような世界がゴミになってしまいます。そういう意味では指揮者とオーケストラの関係というのはとても複雑でデリケートで、しかしながら絶妙に進んだ時にはとてつもなく眩い宇宙が誕生するということがあります。
(以上は発言を忠実に書き留めたものです)
・・・ここからは私の感想
実際、リハーサルの録画の中でも小林さんはプレイヤーにいろいろ注文をつけるが、「こうしてくれると嬉しい」「有り難うございます」「素晴らしい」「ごめんなさい」などを必ず付け加えている。彼は苦労人なんですね。
昔、1961年、N響(運営委員会)が指揮者小澤征爾さん(当時26か27歳)をボイコットし、小澤さんがただ一人で指揮台に立ったN響事件をふと思い出す。
その原因についてはさまざまな見解が残されているが、私が当時個人レッスンを毎週受けていたN響の団員で敬愛すべき高橋安治先生も含めて団員側からの真相の記録がほとんど無いのは不思議なことである。
当時小澤さんのご両親は満州から引き揚げた後に川崎市幸区で歯科医院を開業していて、その近くで華道「池坊」の先生をしていた私の母親を介してお母さまから征爾のアメリカ土産として当時は珍しかったキャンドルを頂いたご縁もあり、N響事件はどちらが悪かったのか決めたくは無いが・・・
同じころ財政破綻で自主運営に追い込まれていた東京交響楽団を少しでも助けようと奔走した芥川也寸志先生の企画でアマオケとしては集客力のあった新交響楽団と東響との合同演奏が開かれた。私はそのころ猛烈サラリーマンの一人であった(と自負している)ので火曜金曜の横響の練習に出ることが出来ず、土曜の夜を練習日としていた新響に移っていて、フルートのアシとしてプロに交じって「ローマの松」を吹いたのだが、リハーサルで東響のクラリネットに対し、指揮者秋山和慶が「そんな所帯じみた音を出すな!!」と怒鳴った。秋山さんはまだ20才代、クラリネット奏者は多分40才過ぎたぐらいの方だったと思うがその方は黙って俯いてしまった。いま思い出しても可哀想で「女房、子供もいただろうに」と思う。
時を経て7年前の事だが当時在籍した都筑オーケストラに横島さんの代振りに来ていた若い洗足学園音大付属指揮研究所出身の指揮者とオケメンバーの若い女性との会話を偶然耳にしてしまった記憶がある。
女「女には蜂の一刺しがあるから強いわよ」
男「指揮者には口撃があるさ」「オケでは指揮者の一言でダメージを与えられる」
洗足学園では最近この付属研究所を廃止したそうだ。何を教えていたのだろうか?
昨年、その都筑オケ団長に用事があって練習場を訪れた時、偶然その指揮者が来ていたが相変わらず彼のポジションは代振りで、仕事がなくて苦しんでいるようだった。
指揮者がカリスマ性を持つのは一つの武器だとは思うが、実力があれば温厚な指揮者だって団員は惜しみなくその力をだしてくれると私は確信している。中学生時代に軍事教練を受けた私の世代ももう残り僅かになり、平和に教育を受けた人たちが活躍している時代である。オーケストラを率いる方々もバトン技術とともに人間の心理を学び、適切な表現が出来る発言力を身に着けて新しい指揮者像を確立すべきではないか。と思うこの頃である。