横浜フイルハーモニー交響楽団の演奏会をきいて

11月23日みなとみらい大ホール

指 揮:田尻真高  1984年生まれ(30才?) 芸大指揮科卒 小林研一郎、山田和樹に師事

ピアノ:斉藤 龍  1981年生まれ 希望ヶ丘高から芸大出の若き男性 

曲 目:ニールセン 「ヘリオス」序曲 op.17

    グリーグ  ピアノ協奏曲 a moll op.16

    シベリウス 交響曲 第2番 D dur op,43

入場料:1,000円 (私はシルバー料金で500円)

  客の入りは9割ぐらいだろうか 落ち着いた年配者が多い。

  先ず驚いたのは合奏の精度の高さだった。ピッチも縦もよく合っていてほとんど音を外すことはない。ホルンですら(失礼な言い方だが)音を外さない。十分に練り上げられたアンサンブルであった。正直、うらやましかった。

 で、どんな練習方法を採用しているのかホームページで調べてみた。

  練習場はおもに睦町の横浜青年館。2つある音楽室と多目的ホールを毎月3回土曜日の夜借りている。ここには全員合奏できる広いホールが無いので、弦と管に分かれて分奏練習をする。あとの残り1回の土曜日は「フォーラム戸塚」その他大きなホールで全体の合奏練習をやる。本番の前は全体合奏の回数を増やすらしいが、ほぼ6ヶ月間これを繰り返す。だから分奏の回数が断然多いのが特徴である。

 私が最初に心配したのは、演奏会の都度、別の新進気鋭の指揮者を招聘しているので音楽の作り方も毎回違うだろうし、それを分奏の指導者はどのように調整しているのか、また、分奏で音程を合わせる指導が出来る人材をどのようにして確保しているのか。ということだった。が、トレーナーの名簿をみてこれならできると納得してしまった。 

 分奏の指導者(トレーナー)としてVnに田口美里さん(都響団員、斎藤記念オーケストラ、日本音楽コンクール第1位)、Vc.に松岡陽平さん(都響副首席)、Vaに堀江和生さん(都響団員)、C.B.に渡邊章成さん(都響副首席)、Fl.に さかはし矢波さん(東フィル団員)と現役のオーケストラプレーヤーたちが名を連ねている。

  演奏は上述したように素晴らしかったが、フルートのソロがもっと輝いていれば、さらに良かったのにと思う場面がいくつかあった。フルートは4名、全員女性で、前、後半で入れ替わったが、皆さん大人し過ぎるのである。わたしは芥川也寸志先生から頂いた次の言葉を今も大事にしている。「オーケストラを人の体にたとえれば、木管は顔だ。フルートは眼、口である。フルートは生き生きとしていなければならない。そうすればオーケストラも美しく響く。」 「ときにはピッチを外してもキンラキラキラとやってほしい」。

 フルートが響かなかったのは、みなとみらい大ホールの音響に若干の問題があるのかもしれない。  私がこのみなとみらいホールで演奏した経験は2回だけだが、その時のリハーサルで、降り番の団員数人がバランスを聴いてくれて、木管の一列目の音が響かないことがを知らされた。こんな立派なホールでも弱いところがあるんだと思ったものである。

  横フィルの演奏会の4日後、11月27日(金)夜、神奈川フイルの定期を聴いた。会場はみなとみらい大ホール、席もほぼ横フィルのときとほぼ同じ場所である。演目はサッシャ・ゲッツエル指揮でコルンゴルトのシンフォニエッタ op.5 そのほかであった。

 シンフォニエッタはチェコ生まれのコルンゴルト(1897~1957年)15才の時の作品で、40分を超す超大作である。モーツアルトをしのぐ神童といわれる彼のこの作品を聴きたくて、当日予定の横響の練習は代奏をお願いして休んだ。

 期待にたがわず良い作品で見事な演奏であった。神奈川フィルのフルートは山田恵美子さんである。もちろんしっかり聴こえた。本拠地であるから当然のことだが。

 ホールには音響の特性がある。それを察知してバランスを修正するのも大事である。

 次の一文は山田淳子著「ドラッカーとオーケストラの組織論」からの引用で、ホールの響きに方よるバランスの修正が指揮者の大事な仕事の一つであると指摘しているものである。

「オーケストラの演奏家が演奏上、受け持ちえない要素の一つは「聴き手としての耳」である。あたり前のことであるが、自分の音を客観的に聴くことは出来ない。コンサートホールの客席で私たちが聴く音は、楽器から出た音がホールに反響して響いた、その響きも加わった音だ。だから、客席で感じる音の聞こえ方は、演奏家が聴いている自分の音とは違う。そして、オーケストラの場合、客席で聴くのは個々の楽器の音でなく、楽器の音がブレンドされた、オーケストラとしての響きである。だから演奏家には、自分に代わる「耳」の役割を果たす人物が必要なのである。」

 私もいろいろな指揮者のもとで演奏したが、この事項をきちんとやってくれた方は半数位である。指揮台で聴く音響と客席で聴く音響は違う筈である。進言したこともあるが、ステリハで精一杯の感じで無視されたので、その後は言わないことにして、客席に置いたレコーダーで時々チェックしている。

 

 横フィルの生い立ちをたどると、1960年台後半に横響への入団希望者が増えたので、小船先生がいわば二軍として作った横響ジュニアーオーケストラにさかのぼる。それが成長し、大きくなって、独立した演奏会を持ちたいと横響を脱退して1977年に横浜フイルが誕生した。さらに1984年にはそこから横浜管弦楽団が分離独立した。以来、それぞれ運営の苦難を乗り越えて3者三様の道を歩み、違うスタイルのオーケストラとして今日存在する。10月12日には横浜管弦楽団の演奏会も聴いた。ここには指揮者原田さんと彼を取り巻く友情と和があり、音楽の質よりもそちらの方でうまくいっていると思う。

 合唱団を抱えている横響にしかできないことはたくさんある。しかし、オーケストラの演奏技術だけ比較すれば横響は横フィルに先を越されたと思った。

 それにしても、まず練習場ありき、でそのことによって、オーケストラの質まで変わってしまうのに驚かされた次第である。

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