横響歴史年表
1859(安政)6年7月1日 【横浜開港】
横浜開港。日本を訪れる外国人による演奏会が横浜の各地で開かれるようになった。
1870(明治3)年 【西洋劇場ゲーテ座創設】
オランダ人ノールトフーク・ヘフトによって本町通りに、日本の 近代音楽・演劇の創成期に多くの影響を与えた西洋劇場ゲーテ(陽気な)座が創設され、音楽や演
劇が本格的に公演されるようになった。現在、横浜山手のゲーテ座では毎年5月に、横浜交響楽 団・(社)横浜演劇研究所・岩崎博物館(ゲーテ座記念)主催で、その創設者・ヘフト氏を偲んで「ヘフト祭」を開催している。
1882(明治15)年 【アマチュア・オーケストラ結成】
外国人居留地の外国人が中心となって「ヨコハマ・ア マチュア管弦楽団」が結成され、さまざまな西洋音楽が演奏された。この中には日本人も何人か 加わっていた。
1889(明治22)年4月11日 【横浜市誕生】
1903(明治36)年2月26日【八十島外衛誕生】
創立者・初代理事長 八十島外衛、東京市駿河台に生まれた。
1907(明治40)年4月4日【小船幸次郎誕生】
創立者・常任指揮者 小船幸次郎 横浜に生まれた。
1909(明治42)年7月1日【横浜市歌制定】
横浜開港50年記念祭が盛大に開かれ、「横浜市歌」が森林太郎(鴎 外)(作詞)、南能衛(作曲)列席のうえ、高野己之助指揮、横須賀海軍軍楽隊の伴奏、市内200
人の小学生によって歌われた。
1917(大正6)年【横浜開港記念会館創設】
1923(大正12)年9月1日【関東大震災とその後】
横浜の世帯の95%が被害にあった。 横浜開港記念会館は無事だったが、その他の文化施設はほとんどが倒壊し、ヨコハマ・アマチュア管弦楽団や横浜マンドリン倶楽部などの文化団体もほとんどが解散または休止に追い込まれた。
昭和にはいると、横浜マンドリン倶楽部がまったく新しい団体として復活した。
この当時は合奏 と言えば、ハーモニカやマンドリン・ギターしかなかった。
オデオン座管弦楽団など一部のプロ の団体はあったが、まだ一般的ではなかった。
小船幸次郎はこの当時、横浜マンドリン倶楽部で指揮を始めていた。そこへ1929(昭和4)年、 東京慈恵会医科大学を卒業し、横浜市の指令によって横浜市十全医院(横浜医科大学病院→現
横 浜市立大学病院)に勤務した八十島外衛が入部し、小船と出会った。
八十島はクラリネットが専 門であったが、マンドリン・ギター・ハーモニカなど何でもこなしていた。
二人はマンドリンを 中心としたプレクトラム音楽だけでは満足できず、ひそかに交響楽団の設立を計画し、ついに横浜マンドリン倶楽部を脱退した。
1927(昭和2)年【新交響楽団創立】
新交響楽団(現在のNHK交響楽団)が第1回の定期演奏会を開催。
1932(昭和7)年12月【横浜交響楽団創立】
発起人は小船幸次郎(25)、八十島外衛(29)、そして小船の良き相 談相手であった田辺茂、高橋鉄太郎の4人だった。
名称は「横浜交響管弦楽団」とした。外は大 雪の寒い晩であったという。
作成した団員募集のチラシには、「職業家とアマチュアーの横浜交 響管弦楽団創立と団員募集」と題し、「音楽を愛する者の憧れは管弦楽の奏演であり、職業演奏家
の最も意義ある仕事は管弦楽団員としての仕事である。
併し管弦楽団の組織には社会的な幾多の 困難がある、この困難と闘っても、管弦楽団を興すだけの価値がある仕事だと思ふ。」として詳細 な要領が記されていた。
1933(昭和8)年1月【横響の活動開始】
プロとアマチュアによる2管編成40人を予定し「横浜交響管弦楽団」 として活動開始。
小船幸次郎宅を事務所兼練習所にアマチュアは1月早々から、プロは3月から練 習開始。
応募者はプロ29人、アマ30人、計59人であった。
同年7月1日【第1回定期演奏会】
横響第1回定期公演を横浜開港記念会館でアマチュアと職業音 楽家によつ混成楽団として開催。
プログラムには「市民諸賢」として、「今から15・6年前に、我々 の先輩が、横浜フィルハーモニーと称する管弦楽団を組織して、当時の日本の楽壇に重きをなし
て居た事を、我々は常に誇りに感じて居た。今回組織された管弦楽団は、横浜フィルハーモニー とは何の交渉もなく組織さたが、横浜を愛し、横浜に在らねばならぬ管弦楽団を立派に育て上げて行き度い気持ちには変わりはない。
本団の団員は横浜に住むアマチュアと僅かな職業家とであ る。
生まれたばかりの本団は未だ団員も不足だし、下手でもある。
併し今の横浜ではこれ以上は 望めない。これを諸賢と共に育てゝいかねばならぬ。今夜お集まりの諸賢が本団のフアンとなっ て、今後の活躍にご声援をお願いする」と掲載。
ワーグナー「ジークフリート牧歌」、ハイドン 交響曲第94番「驚
愕」等を演奏して演奏会は一応成功したが、交響楽演奏では生計が成り立た ないとプロは退団し、 アマチュア団員のみ残った。
しかし、意欲を失った小船は作曲、 指揮に専念するため横響から離 れた。
八十島は博士号取得のため国内留学し、この時期 横響から離れていたが、その後復帰し、 小船を励まし、アマチュアのみにより演奏活動再開した。
横響にとって最初の危機であった。
1936(昭和11)年【チェレプニン来日】
小船幸次郎はロシアの作曲家アレクサンドル・チェレプニン(1899~1977) に師事、作曲と指揮法を学ぶ。伊福部昭と荻原利次は同門。
同年11月25日【横響第2回公演】
小船幸次郎が復帰し、第2回定期公演を朝日講堂でアマチュアのみによっ て開催した。
曲目は「運命」「ペールギュント組曲」他であった、
1937(昭和12)年【ローゼンストック】
小船幸次郎は新交響楽団指揮者ジョセフ・ローゼンストック(1895-1985、 ポーランド)に師事、作曲と指揮法を学ぶ。
1939(昭和14)年1月28日~8月11日【イタリア留学】
小船幸次郎イタリア留学。日伊学会の推薦によって イタリア外務省の中亜極東協会(ISMEO)に音楽使節として迎えられ、ローマのサンタ・チェチリア
音楽学校指揮完成科に留学。
モリナーリに師事、指揮法を学ぶ。
フィレンツェ音楽祭出席、ヴェニスで作曲家マリピエロに会う。
ポーランドで開かれたワルシャワ第17回国際現代音楽協会(ISCM)国際現代音楽際に「弦楽四重 奏曲第1」が入選、ポーランド放送四重奏団によって演奏される。
ポーランド(ワルシャワ)で「現代日本音楽の夕」指揮、ワルシャワ・フィルハーモニー演奏。
アイノラ山荘にシベリウスを訪問し、歓談する。
フィンランドのヘルシンキ放送局で「現代日本音楽の夕」指揮、フィンランド放送交響楽団演奏。
演奏後シベリウスから激励の電話を受ける。
ローマにて、ラジオ国際放送で日本の曲を指揮、ローマ放送管弦楽団演奏。
帰国後、新交響楽団を指揮(1940.2.29日比谷公会堂、9.17横浜公園音楽堂等)
1941(昭16)年2月3日【「横浜交響楽団」の呼称】
第18回定期演奏会から正式名称を「横浜交響楽団」とする。
同年 12月8日太平洋戦争始まる。
1942(昭17)【横響創立10周年】
当時の演奏会場は開港記念会館と教育会館、指揮:佐々木栄治、田辺茂。
ハイドン「交響曲第100番(軍隊)」モーツァルト「交響曲第38番(プラハ)」他。
黛敏郎入団。
1943(昭18)年8月6日【戦争による演奏活動の中断】
太平洋戦争が熾烈となり、第29回で演奏会活動は中断し たが、慰間演奏等は暫く続ける。
1946(昭21)年7月28日【戦後の再建(活動再開)】
「横響再建二付イテノ御通知」(八十島氏の呼びかけ)
運営方針その他の懇談会、:8月4日(日)午後1時 場所:桜木町駅前中区役所会議室
同年8月11日【戦後の練習再開一中区役所】
再開第1回の練習 8月11日(日)午後3時、中区役所2階会議室、指 揮小船幸次郎、旧団員続々結集した。
同年11月16日【戦後再建第1回演奏会】
通算第30回定期演奏会を山手フェリス女学院講堂で開催、シューベ
ルト「交響曲第3番」他。
1947(昭22)年7月【練習所の移転一YMCA】
中区役所からYMCAに移転した。
1949(昭24)年1月【練習所の移転一CIE図書館】
YMCAからCIE図書館に移転した。
同年10月【練習所の移転一平沼高校】
CIE図書館ホール改修のため昭和26年5月まで平沼高校に移転。
1950(昭25)年5月1日【団員名簿】
当時の団員数は (1Vn)15(2Vn)12(Va)7(Vc)8(Cb)5(Fl)3(0b)3(Cl)4(Fg)2
(Hr)4(Tp)3(Tb)3(Per)4(Con)l(Scon)1(2)合計72名
同年5月21日【横響愛好会の発足】第45回定期演奏会終了時、指揮者小船氏の呼びかけに応じ200人以上が賛 同加入した。会長に吉崎巌、以後定期演奏会等の開催その他支援活動の企画と実施(県立第一高女 講堂)。
同年12月17日【第1回横響・第九演奏会】
第48回定期演奏会(S)笠井秋江(A)松内和子(T)岩崎成章(Bar)畑中 良輔 (Chr)C.I.E(ABS)、木曜会、国大、平沼高校。伊勢佐木町のフライヤージムで、聴衆は7,000
人であった。
1951(昭26)年6月【練習所の移転―CIE図書館】
図書館ホール改修工事終了し、平沼高校から戻る。後にアメ リカ文化センターと改称 昭和30年6月まで使用した。
当時の演奏会場は、CIEホール、国大ホール、フライヤー・ジム、指揮: 小船幸次郎。
ハイドン「交響曲第94番(驚愕)」モーツァルト「交響曲第41番(ジュピター)」「レ クイエム」シューベルト「交響曲第7番(未完成)」ベートーヴェン「交響曲1・3・9番」ドヴォルザ
ーク「交響曲9番(新世界より)」他
1953(昭28)年8月10日【オペラ「四人の聖者」日本初演】
西日本水害救援募金「オペラ鑑賞のタベ」においてヴァージル・トムソン「四人の聖者」他を上演 オクタゴン劇場
同年11月【小船幸次郞、神奈川文化賞を受賞】
横響との演奏活動、横浜合唱連盟の創立、51年横浜市大、52 年横浜国立大学教育学部の音楽講師等の功績で第2回神奈川文化賞を受賞。
1954(昭29)年3月15日【横浜交響楽団横浜文化賞受賞】
横浜交響楽団が第2回横浜文化賞を受賞、「貴交響楽 団は昭和7年結成以来幾多の困難を克服して楽団の結束を固め小船氏の技術指導と八十島氏の運 営補助のもとによく市民の共感を得て64回に及ぶ定期公演記録を樹立し本市の音楽文化の向上に
寄与された業績は顕著である依って茲にこれを賞する。昭和29年2月15日 横浜市長平沼売三 横浜 市教育委員会」
同年5月9日【開国百年祭記念演奏会】
小船幸次郎「横浜組詩曲1947」、ベートーベン「第九」等を演奏、フ ライヤージム(横浜公園)。
同年10月5日【横浜合唱連盟結成】
発起人代表小船幸次郎氏 連盟規約を決定し10月5日発会式。
同年11月21日【県立音楽堂落成―初の定期公演― 以降毎月定期公演】
横響は第68回定期から今日まで定期 公演会場として使用している。
初の定期記念プログラムに横浜市教育委員会社会教育課長遠藤要 指揮者小船幸次郎両氏の挨拶文掲載。
小船は県立音楽堂が開設されたことから「横響の危機」を 訴え、アマチュア・オーケストラとしての「横響」の存在意義を説き、今後積極的に毎月の定期
公演を行うことを宣言した。
同年12月8日【社会教育関係団体認定書交付願】
入場税の減免手続きに必要なため県教育委員会あて「社会 教育関係団体認定書交付願」を申請、結局免税扱いとはならなかった。
1955(昭30)年3月27日【事務局事務所の設置】
横響事務局を中区花咲町1‐13に設置。
同年3月13日【巡回演奏会】
横浜市教育委員会主催による市域周辺小中学校への巡回演奏会開始。以後年3~ 4回の恒例事業。
同年7月1日【練習所の移転一野毛市立図書館】
アメリカ文化センター(旧CIE)から野毛山の市立図書館に移 転。
同年11月11日【日米太平洋市長会議出演】
横浜市で開催された国際会議第3回「日米太平洋市長会議」の閉 会式に出演 国歌、ロッシーニ「セビリアの理髪師序曲」、ブラームス「交響曲第1番」(ホテル・
ニューグランド)。
同年12月22日【入場料金(定期会員券)】
1956年度第1期会員募集 1期3ヵ月 A席290円 B席240円 C席180円
一般入場料 1月100円 2、3月A100円 B80円。
1956(昭31)年1月【運営委員会の発足】
毎月定期演奏会としたことに伴う運営事務作業の増大に対処して事務局体制の強化 委員長吉崎巌氏(横響愛好会会長)、事務局田中千秋氏
同年年7月7日【横浜・川崎第1回合同演奏会】
横浜交響楽団と川崎市民交響楽団初の合同演奏会を新設の川 崎市市民会館で開催、聴衆4,000人、両市市歌 「未完成」「運命」他。
同年11月3日【神奈川文化賞贈呈式出演】
ブラームス「交響曲第1番」を演奏、神奈川県立音楽堂。
1957(昭32)年1月30日【横響の新形式演奏会(楽曲解剖演奏)】新形式演奏会「楽曲解剖演奏解説」について 第94回定期演奏会プログラムに運営委員会名で広報。
1957(昭32)年2月20日【テデスコ「ギター協奏曲」日本初演】
作曲者テデスコから東洋初演、日本初演のメ ッセージ届き、第95回定期演奏会プログラムに掲載した。
1957(昭32)年4月24日【ジュニア・オーケストラ(再開)】
団員募集 指揮:森川政太郎、小上馬朋治、 武田善美、小船幸次郎。練習場所:野毛横浜市図書館(横響練習所) 練習日:火・金(18 時~19時)
同年5月26日【横響事務局移転】
事務局を移転。住所:中区初音町2‐31
同年7月24日【第100回定期記念演奏会】
記念誌発行、横浜市長:平沼売三、横浜市助役:田中省吾、横浜市教育委員会、神奈川県知事:内山岩太郎、神奈川県議会議長:山口涼、横浜商工会議所会頭:半井清、
神奈川新聞社社長:佐々木秀雄各氏の祝辞を掲載 横響常任指揮者:小船幸次郎、横響理事長:八十 島外衛、横響運営委員長:吉崎巌の挨拶文掲載(神奈川県立音楽堂)。
同年7月25日【NTVテレビの横響紹介】
NTVテレビ“私は知っている"(13:25‐13:40)に小船・八十島・浜中の
3氏出演 横響第100回記念定期演奏会風景も紹介。
同年7月26日【第100回記念祝賀会】
横浜市長公舎。
同年8月10日【第1回三市合同演奏会】
横浜・川崎・横須賀3市合同交響楽演奏会を川崎市市民会館で開催。
「カルメン組曲」「驚愕」「フィンランディア」他。
同年8月5日【NHKテレビ出演】
NHKテレビ人気番組「私の秘密」に出演 「新世界交響曲」第4楽章演奏(NHK放
送スタジオ)。
同年9月25日【オペラ「カルメン」全出(演奏会形式)】
第102回定期演奏会 神奈川県立音楽堂で演奏会形式 ながら初めて本格的オペラの全出演奏 以後の横響オペラシリーズの契機となる。
同年10月【ピアノの購入】
森川、上田の両氏を浜松へ派遣、ピアノ購入。小船氏の免税証明。
1958(昭33)年6月18日【第2回三市合同演奏会】
第2回を横浜で開催、横浜開港100年祭参加及び横響第111回 定期演奏会を兼ねる。
同年10月15日【事務局事務所の移転】
磯子区磯子町605番地
同年11月19日【前売入場料金の改定】
120円・100円。
同年12月11日【横浜合唱連盟合唱団】
第117回定期公演。横浜合唱連盟合唱団が参加する定期公演「第九」(横浜市教育委員会 横浜合唱連盟 横浜交響楽団 3者の共催)、参加合唱団 横浜木曜会・横浜混声合
唱団・国大学芸学部合唱団・神大フロイデルコール・日大高校音楽部・橘学苑音楽愛好会・横浜学園音楽部・横浜市役所合唱団・内外編物コーラス部・ホワイトコール・横浜男性合唱団・三菱
横浜造船所合唱団・横浜YMCA混声合唱団・横浜関内職場合唱団 の14団体。
1959(昭34)年3月18日【オペラ「椿姫」全出(演奏会形式)】
第120回定期演奏会 神奈川県立音楽堂。
1960(昭35)年2月28日【練習所の移転―震災記念開館】
野毛の横浜市立図書館から隣接の旧震災記念館2階大 会議室(講堂)へ 週2回(火、金)18時~21時30分
同年4月27日【オペラ「アイーダ」全曲(演奏会形式)】
第133回定期演奏会 神奈川県立音楽堂。
同年6月【事務連絡所の新設】
横浜市開港記念会館の2階の市教委分室内。
同年6月29日【セントルイス交響楽団との交流】
「ダイム」誌上にセントルイス交響楽団の紹介があり、情報交換を希望して連絡、返信の報告後は詳細不明。同響は1860年創立100周年記念。
同年11月16日【入場料金改定】
第140回定期公演 指定席150円。
同公演でオペラ「セビリアの理髪師」を横響手作リオペラとして上演。「カルメン」「椿姫」「アイーダ」は演奏会形式であったが、簡易装置ながらオーケストラが初めてピットで演奏。神奈川
県立音楽堂。
1961(昭36)年1月26日【第9回横浜文化賞贈呈式出演】
国歌、市歌、「越天楽」「ニュールンベルグの名歌手」 前奏曲他を演奏(神奈川県立音楽堂)。
同年3月【練習所改装のため一時移転】
旧震災記念館の練習所改装のため神奈川会館を仮練習所とする。
同年年3月13日【練習所改装披露祝賀会】
ウエッブ軍曹が帰国記事取材の朝日新聞記者に「横響は横浜の誇 りだが、この練習所は横浜の恥だ」との記事に、半井市長の視察と改装の実施。旧震災記念館2
階講堂。
同年9月8日【練習所火災】
漏電によると考えられる火災で改装後間もない練習所(旧震災記念 開館・老松会 館講堂・付属倉庫)と楽器・楽譜・資料を大量に焼失。
1961(昭36)年9月27日【第150回定期記念演奏会】
9月8日の練習所の火災で練習所は再度神奈川会館に世話に なり、楽譜焼失で一部曲目変更を余儀なくされたが川響からの借譜などで無事開催(神奈川県立音
楽堂)。
同年10月28日【横響災害救助演奏会】
黛敏郎、三宅春江、奥田良三、栗本正、高木東六、大内喜代子、小林 武史ら各氏の友情出演 黛敏郎氏は「カルメン組曲」を指揮 このはか市・県。一般市民から拠金
等の支援を受け再建できる。(神奈川県立音楽堂)
同年12月14日【入場料金改定】
定期会員1期(3ヵ月)300円・プログラム無料進塁、一般席毎回 A券120円・ B券100円
オペラ公演を積極的に取りあげた。
同年5月23日【ヴェルディ「レクイエム」】
八十島理事長の寄贈楽譜。何年も演奏機会がなかったもの 日本 初演はNHKがイタリア・オペラを招いた際イタリアの指揮者・ソリスト・合唱で演奏されたが、日
本人のみによる演奏は、横響が初演(神奈川県立音楽堂)。
同年5月30日【横浜文化体育館落成記念「青少年コンサート」】
ベートーベン「交響曲第5番 運命」他(横浜 文化体育館)。
同年6月27日【入場料金改定】
定期会員券 1ケ月130円 一期3ケ月390円(プログラム付き)、一般会員券 A席 150円 B席120円。
同年7月25日【創立30周年第160回定期記念演奏会】
記念プログラムに 横浜市長:半井清、横浜市教育委員会 委員長:横江勝美、神奈川県知事:内山岩太郎、横浜商工会議所会頭:田中省吾、横響理事長:八十
島外衛、横響常任指揮者:小船幸次郎、運営委員長:渡部晃 各氏の挨拶文掲載(神奈川県立音楽堂)。
同年7月25日【オペラ「ラ・ボエーム」上演】
横響創立30周年・第160回定期演奏会を記念してプッチーニの 「ラ・ボエーム」を簡易装置ながら横浜演劇研究所所長加藤衛氏の演出で上演 神奈川県立音楽堂。
同年8月4日【創立30周年祝賀会】
横浜市長公舎。
1963(昭38)年7月24日【入場料金改定】
定期会員券150円、一般会員券200円 プログラム無料添付 第172 回定期から。
同年年11月3日【福島県文化祭(郡山市)】
県外初の依頼演奏旅行、フランク「交響曲二短調」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」他 郡山市民会館。
1964(昭39)年1月13日【都民交響楽団交歓演奏会】
フランク「交響出二短調」他 東京文化会館。
1965(昭40)年3月24日【オペラ「コジ・ファン・トッテ」を上演】
第192回定期演奏会でモーツァルト「コジ・ファン・トッテ」を簡易装置による上演 神奈川県立音楽堂。
同年7月【練習所の移転一市民ギャラリー】
先年火災に遭った元震災記念館(老松会館)から桜木町駅前の市民ギャラリー(旧中区役所)2階に練習所移転。
同年8月【ジュニア・オーケスオラ練習開始】
練習日・毎水曜日19時 桜木町駅前市民ギャラリー2階 指導: 加藤治男。
同年11月24日【第200回定期記念演奏会】
記念誌を発行 第14回横浜文化祭参加 主催:横浜交響楽団、横浜市 教育委員会、ライオンズ国際協会302‐E5地区 祝辞:神奈川県知事 内山岩太郎、横浜商工会議所
会頭 李家孝、ライオンズ国際協会302‐E5地区ガバナー 小山善次郎、横浜市長 飛鳥田一雄、横 浜市教育委員会 佐藤美子、横浜市教育委員会(神奈川県立音楽堂)。
1966(昭41)年2月23日【オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の公演】
第203回定期公演、県立青少年セ ンターホール、主催:横浜交響楽団、横浜市教育委員会、後援:神奈川新聞社、協賛:劇団創芸、劇 団友の会、横浜小劇場。「セヴィラの理髪師」で初めて装置を作り、同様の形式で「ラ・ボエーム」、簡易装置で「コジ・ファン・トッテ」、今回は青少年センターホールを使用し本格的な装
置で上演した。
同年8月24日【市教委担当者西村哲雄氏の異動】
横響の担当18年間、横響舞台裏の功労者。今回総務課へ異動。
同年・10月26日【ジュニア・オーケストラの出演】
加藤治男指導の横響ジュニア・オーケストラ団員と本団 との合同。演奏:ベートTヴェン第8番(神奈川県立音楽堂)。
同年11月18日【小船幸次郎・八十島外衛両氏第15回横浜文化賞受賞】
11月3日発表、18日贈塁式。
1967(昭42)年11月29日【入場料金改定】
第225回定期、第9演奏会、定期会員券200円。
1968(昭43)年1月31日【ジュニア・オーケストラ】
団員30名となる。
同年5月29日【オペラ「ラ・ボエーム」の上演】
第230回定期演奏会、オペラ「ラ・ボエーム」全4幕。
前回は県立音楽堂の簡易装置で上演したが、今回は本格上演 特別料金300円、県立青少年センタ ーホール。
同年7月27日【飯田労音7月例会】
長野県飯田市飯田東中学校体育館で「新世界」、「中央アジアの草原にて」、 「ハレルヤコーラス」他。
1969(昭44)年1月29日【丸山綾子氏の追悼】
第238回プログラムの小船幸次郎年頭挨拶で横響の大きな理解者・
後援者の丸山綾子氏急逝を記す。この日の第249回定期演奏会を「追悼演奏会」に準じた扱いとす
る。
同年12月10日【「蛍の光」の演奏】
第249回定期演奏会プログラムに「蛍の光」聴衆・演奏者全員合唱との 記載。来場者をお見送りする趣旨。「聴きに来てくれた客より先に席を立って帰るのはアマチェ
ア精神に反する」との常任指揮者小船幸次郎氏の考え。
1970(昭45)年1月28日【第250回記念祝賀演奏会】
プログラムに、神奈川県知事:津田文吾、横浜市長:飛鳥田 一雄、横響創立者・理事長:八十島外衛、横響創立者・指揮者:小船幸次郎各氏の挨拶文「横響心
のふるさと」小船幸次郎(神奈川県立音楽堂)。
同年年2月25日【ベートーヴェン生誕200年記念】
ベートーヴェン生誕200年記念の年 第251回定期公演を第1 回として第261回の第九までをベートーヴェン・チクルスとして記念演奏。
同年5月26日【青少年オペラ観賞会「ヘンゼルとグレーテル」】
第254回定期と青少年オペラ観賞会として5 月24日(日)午前11時、午後3時、5月26日(火)午後6時30分 の3回県立青少年センターで開催。
同年12月16日【横響「第九」演奏連続20年記念演奏会】
12月16日はベートーヴェンの誕生日― ベートーヴェン生誕200年記念― を締めくくる。
1971(昭46)年3月24日【「ファウスト交響曲」】
第264回定期 日本初演。
同年3月24日【横響合唱団の発足と初出演】
「横響と荘厳ミサを歌う会」メンバーが中心になって71年1月に 「横響合唱団」として誕生。第264回定期のリスト「ファウスト交響曲」から男声合唱出演。
同年5月10日【ヘフト祭】
横響、横浜演劇研究所、イギリス館、横浜市教育委員会の共催、横浜ゲーテ(Gaiety) 座の創立者ノールトフーク・ヘフト氏の功績を顕彰、墓参後イギリス館で横響は室
内オペラ「奥様になった女中」を上演 以後毎年講演・演奏を続けている。(外人墓地)
同年6月26日【青少年オペラ観賞会「奥様になった女中」他】
「バスティアンとバスティアンヌ」「奥様になった女中」を6月26日(土)午後6時30分・6月27日(日)午後2時・午後7時の3回 第267回定期演奏
会として6月29日(火)午後6時30分の計4回のステージを日本語の作詞で上演 県立青少年センター ホール。
同年10月27日【「第九」合唱団員募集】
日時:11月6日から毎土曜日、18時30分、場所:市民ギャラリー2階横響練習所、指導:田頭喜久弥、その他:会費なし、楽譜用意あり、とある。
同年4月26日【チェレプニン「ジョージアナ」】
第227回定期、組曲「ジョージアナ」。
同年7月18日【創立40周年記念オペラ「蝶々夫人」の公演】
7月15日(土)16日(日)18日(火)3回公演、第280回 定期、入場料400円、県立青少年センターホール。
同年11月29日【OBオーケストラの誕生】
横響練習所で合奏練習、指揮者:鈴木重信。
1973(昭48)年4月25日【小船幸次郎「日本現代音楽協会」名誉会員】
昭和14年小船29才の時、国際現代音楽協会本部で「弦楽四重奏曲第1」が入選、第17回国際現代音楽祭(ポーランドのワルシャワ)で演奏 された。当日日本現代音楽協会名誉会員に推挙され、記念に「祭の頃」が演奏された。
同年5月30日【創立40周年記念演奏会】
第290回定期演奏会、ハイドン:オラトリオ「天地創造」全3幕。飛鳥 田横浜市長の舞台挨拶。プログラムに横浜市長:飛鳥田一雄“祝辞"、横浜市教育委員会教育長:
平島進“祝辞”、横響理事長:八十島外衛“横響と歩いた裏街道”、横響指揮者:小船幸次郎“40 年前ハイドンの驚愕交響曲で始まった横響”の掲載。
同年6月3日【40周年記念祝賀会】
イギリス館で開催。横浜市から市長、元木社会教育部長他、ソリストの方々、創芸の梨地、横浜演劇研究所の飯田他、八十島理事長を始め横響の関係者等150名出席。
同年12月19日【横響の機構】
横響は本団・ジュニア・OBの三つのオーケストラとオペラ研究部(合唱団)、室内楽研究部の5部門の機構(小船構想)とする。
1974(昭49)年3月31日【第300回記念演奏会】
プログラムに指揮者:小船幸次郎「300回目の演奏会を迎えて」、理事長:八十島外衛「第300回記念演奏会に思う」を掲載 入場料200円(神奈川県立音楽堂)。
同年7月1日【練習場の移転―教育文化センター】
7月1日から現在の横浜市教育文化センターに移転(引っ越 し6月30日) 飛鳥田横浜市長の尽力に依るところ大。
同年8月【丹下吉太郎氏(東京交響楽団)逝去】
10年の長きにわたり楽譜借用のお世話を頂く。
同年8月21日【練習場備品】
練習場移転の記念として横響OBから木製譜面台40台約20万円の寄 贈。
同年10月17日【一般会員券の指定席制を廃止】
音楽堂での演奏会が始まって以来続けてきた一般会員券の指定席制を当月から自由席とし、定期会員席のみ従来どおり指定席。
1975(昭50)年1月【県民ホールの開館】
本格的なオペラを上演するための機能と設備を持つ。以後オペラ・第九に度々使用 。
同年7月22日【オペラ「魔笛」上演】
県民ホール、会員券500円。
同年7月28日【黛敏郎「題名のない音楽会」出演】
シューベルト「未完成」ハイドン「驚愕」他演奏、黛敏郎が入団当時を忍び一緒にコントラバスを演奏(渋谷公会堂)。
同年8月8日【合宿】
本団と合唱団の合同合宿、8月8~ 10日、軽井沢ミュージックセンター。
1976(昭51)年2月25日【入場料金改定】
76年7月から一般会員券300円、定期会員券250円。
同年5月3日【ヘフト氏墓前祭】
ゲーテ座創立者ヘフト氏、山手外人墓地、イギリス館で研究講演「明治41年のゲーテ座」名古屋大学講師升本匡彦氏 、即興曲:シューベルトPf:中沢万里子、講演と演奏の
催し定着。
同年9月29日【ステレオ装置設置(練習所)】
横響練習所に本団、ジュニア、合唱団、OBの全団員からの募金で購入、 1口500円。
1977(昭52)年1月26日【ジュニア'オーケストラ本団へ吸収】
ジュニア所属が長期間に亘る団員が増えたので 3月から全員を本団に吸収し、ジュニアは別途育成を検討することとして暫く休止。
同年7月24日【オペラ「ヘンゼルとグレーテル」の公演】
横響第340回定期公演と「子供のためのオペラ公演」 としてマ チネーで公演。県民ホール、経費総額450万円、各種補助・寄付・入場料で補填。
入場料大人1,000円・中学生以下400円・定期会員800円。
定期公演2,200人、マチネー小中学生2,300人、合計4,500人 出演者,裏方200人。
1977(昭52)年11月4日【横響マニラ親善公演】
民間の国際文化交流団体の斡旋。主催:マニラ市各種日比親善 団体、後援:横浜市・神奈川県。11月4日フィラム・ライフ・オーディトリウムで「新世界」他、
5 日フォーク・アート・シアターで「アランフェス協奏曲」「ラプソディー・イン・ブルー」他を 演奏、6日帰国。団員82人参加。マニラ市に宿泊した「フィリピナス・ホテル」が帰国して10日後
の11月14日朝に全焼。死者40人以上の惨事となった。
1978(昭53)年2月22日【ジュニア(弦セクション)の募集】
弦セクション訓練、指導:井上淑子、指揮:小船 幸次郎/鈴木重信、毎水曜19時~21時。5月の本団定期演奏会出演:シューベルト交響曲第5番。
同年5月24日【第350回定期記念演奏会】
ハイドン・オラトリオ「天地創造」。プログラムに長洲一二神奈川 県知事、細郷道一横浜市長の祝辞(神奈川県立音楽堂)。
同年6月【小船幸次郞入院療養】
小船は過労のため前月下旬から入院療養。
同年6月27日【小船、文化庁から表彰】
昭和53年6月27日文化庁創設10周年の記念式典で国の芸術文化の発展に寄与したことで表彰された。
同年7月1日【小船、警視庁から警察協力章の受章】
昭和53年7月1日警察庁長官から神奈川県警察音楽隊創生期以来の育成の功績で警察協力章が贈られた。
同年8月23日【入場券前売所での販売強化】
協力前売所:日本楽器横浜店、マリウス横浜駅地下街店、マリウス野毛店、ハマ楽器伊勢佐木町、オデオン堂鶴見駅ビル店、ハマ音紅葉坂音楽通。
同年10月24日【神奈川芸術祭参加】
第355回定期演奏会、ベートーベン「荘厳ミサ由」。
1979(昭54)年【メンデルスゾーン生誕170年記念】「
イタリア」「スコットランド」「ヴァイオリン協奏曲」 「真夏の夜の夢」「エリア」を取上げる。
同年4月29日【小船幸次郎の叙勲】
春の叙勲で長年の音楽活動にたいして勲五等双光旭日章を受賞、7月に受賞祝賀演奏会を開催。
同年12月19日【入場料金改定】
第369回定期から入場料金を400円。
次年度の演奏曲目選定では、「青少年のための音楽会」の趣旨にてらして馴染み深い曲を中心に
学校の音楽観賞教材からも選出。
1980(昭55)年10月28日【団員岡本氏西ドイツヘ】
打楽器の岡本恭一氏が調律師として西ドイツに招聘されハ ノーヴァヘ。
同年11月【常任指揮者甲賀一宏】
2年前から体調の勝れない小船幸次郞を補佐してきた副指揮者の甲賀一宏が常任指揮者に。
同年12月17日【2月定期の休演】
1981年3月に歌劇「カルメン」全曲を上演。準備のため2月は定期演奏会を休演。
1981(昭56)年3月29日【オペラ「カルメン」上演】
第383回定期演奏会、県民ホールでの本格上演。プログラムに横浜交響楽団理事長宮内治夫の挨拶掲載。
同年11月【入場料金改定】
定期演奏会 400円、県民ホールでの第9演奏会 700円。第391回から。
同年11月17日【八十島外衛前理事長逝去】
八十島外衛逝去、享年78歳。小船幸次郎と出会い横響創立。第391 回定期演奏会を追悼演奏会。横浜山手聖公会での告別式で横響(Fl)栢原弘(Tp)小沢富士夫(Vn)小
林武史の各氏が献奏。
同年12月19日【「横響・第九」NHK‐ FM放送】
第392回定期演奏会、NHK横浜FMで放送、指揮者甲賀一宏。
同年2月17日【常任指揮者小船幸次郎逝去】横響の生みの親小船幸次郎逝去、享年74歳。3月の第395回定期
演奏会を「小船幸次郎先生追悼演奏会」。
同年3月24日【小船幸次郎追悼演奏会】
第395回定期の追悼演奏会プログラムに最も古くからの横響団員佐藤一雄氏の弔辞「横浜の偉大なる文化人小船幸次郎先生を偲んで」、横響のお客さんを代表して倉
地政深氏の「小船先生の思い出」を掲載。
同年6月9日【アジア太平洋都市会議開会式典】
横浜市の県民ホールで数日間に亘って開催された国際会議「アジア太平洋都市会議」の開会式典に出演 国歌、横浜市歌、「戴冠式行進出」「フィンランディア」
「越天楽」等を演奏。
同年7月28日【第1回演奏会のプログラムの再演】
9月に横響創立50周年と第400回定期演奏会を行うに当たり 初心に帰る意味で第1回プログラムを再現。ベートーヴェンの第5番は予定したができなかったも
の(第2回では取り上げた)。
同年8月【定期演奏会の臨時休演】
創立50周年第400回定期記念演奏会の準備のために8月の定期演奏会を臨 時休演。
同年9月12日【創立50周年第400回定期記念演奏会】
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番(皇帝〉」、ショスタコーブィチ「森の歌」他、プログラムに細郷道一横浜市長の“祝辞”掲載。
同年11月3日【横浜交響楽団神奈川文化賞受賞】横響は定期演奏会400回を機に昭和57年度の神奈川文化賞を 受賞。神奈川県知事・長州一二、神奈川新聞社社長・桶本正夫。
1983(昭58)年4月【年8回の定期演奏会】
昭和30年度から続けてきた毎月定期演奏会を巡回演奏会の充実を図ることとして昭和56年度から年8回に変更。
同年12月【第2回「安藤為次」記念賞を受賞】
神奈川県の教育・文化に貢献した団体に贈られる安藤為次記念賞を横響が受賞。この賞は一般団体と高校の優れた活動を対象としたもので、横響の定期演奏
会と巡回演奏の県民文化への貢献が評価された。
1984(昭59)年4月25日【入場料金改定】
第415回定期演奏会から入場料金を500円に、「第九」を1000円に値上げ。
同年5月30日【小船幸次郎・八十島外衛両氏三回忌追悼演奏会】
第416回定期演奏会を両氏の追悼演奏会とし、 ドヴォルザーク「スタバト・マーテル」を演奏、「追悼の辞に代えて」の一文をプログラムに掲 載。
1986(昭61)年10月12日【甲賀氏「露風賞」を受賞】
横響常任指揮者・横響合唱団指揮者の甲賀一宏氏が「三木露風賞」を受賞。
1986(昭61)年10月29日【横響合唱団創立15周年】
第435回プログラムに合唱団運営委員長小林広茂の一文 を掲載。
1986(昭61)年11月9日【栄区発足記念第九演奏会】
「エグモント」序曲、「第九」(県立柏陽高校体育館)。
1987(昭62)年9月20日【横浜水道創設100周年「森と湖の音楽会」】
横浜市の水道水源の地津久井町で水道創 設100周年を記念して音楽会開催 「水上の音楽」「白鳥の湖」「ウィーンの森の物語」「新世界」他、
津久井町文化福祉会館。
1988(昭63)年1月29日【理事長宮内治夫逝去】
前年10月から入院療養中の宮内治夫理事長逝去、享年68歳。
6月の定期演奏会フォーレ「レクイエム」追悼演奏会。
同年1月29日【理事長宮内氏叙勲】
勲5等双光旭日章を授章。
同年6月15日【故官内治夫理事長追悼演奏会】
第448回定期演奏会で前理事長宮内治夫を追悼。プログラム に「追悼の辞」の一文を掲載。
同年8月7日【新理事長に小機智功就任】
前理事長逝去に伴い、小磯智功が理事長に就任。1955年4月入 団、 1963年からコンサートマスターとして活躍、当時横浜市会事務局長。
同年11月25日【甲賀一宏出版記念コンサート】
横響の指揮者甲賀が童謡集「ぼくの団地はクリスマスツリー」 を出版、これを記念してFM東京ホールでコンサートを開催。
1989(平1)年4月2日【横浜YES博覧会開幕イベント出演】
博覧会YESホールでの開幕イベントに本団と合唱団 が出演 ダ・カーポと管弦楽、オペラアリア集など。
同年6月2日【横浜市政100周年・開港130周年記念市政功労者表彰】
6月2日横浜港開港記念日に新横浜の横浜アリーナにおいて「横浜市政100周年・開港130周年記念式典」がとりおこなわれた。この場で1,000
組の故人、個人、団体が市から表彰された。横響も50年にわたる演奏活動に対して表彰状を戴く。 式典では横響も出演して神奈川フィルハーモニーと式典音楽を担当。
同年8月6日【指揮者甲賀氏第19回日本童謡賞を受賞】
甲賀氏と詩人の佐藤雅子氏による童謡曲集「ぼくの団地はクリスマスツリー(新しいこどものうた)」(音楽の友社刊)が日本童謡協会の第19回日本童謡賞を受賞。これを記念して横響第457回定期演奏会でも一部を演奏。
同年10月【第14回神奈川芸術祭交響楽フェスティバル参加団体】
川崎市民交響楽団、秦野市民交響楽団、小 田原フィルハーモニー交響楽団、相模原市民交響楽団、横浜交響楽団、横須賀交響楽団、鎌倉交 響楽団、横浜フィルハーモニー管弦楽団、藤沢市民交響楽団、厚木交響楽団
の10団体。
1990(平2)年4月25日【故細郷道一横浜市長追悼演奏会】
横響に関心と励ましをよせていただいた細郷道一横浜市長が急逝された。第463回定期演奏会を追悼演奏会とし、プログラムに小磯理事長の一文を掲 載。
同年2月9日【横響合唱団創立20周年】第477回定期演奏会を記念演奏会とし、バッハの「マタイ受難曲」の演奏と「合唱団記念誌」を発行。
同年8月9日【創立60周年記念演奏会】
横響は創立60周年を迎え第481回定期公演にオペラ「カルメン」(演奏会形式)を演奏 記念プログラムに高秀秀信横浜市長の祝辞、小磯理事長の挨拶を掲載。
同年8月9日【共催名義の変更】
定期演奏会の主催者が第480回公演までは横浜変響楽団と横浜市教育委員会の共催であったが、担当の文化事業課が市民局に移管になったことに伴い第481回公演から主催者
名義が横浜交響楽団と横浜市の共催、横浜市教育委員会の後援になった。
同年10月28日【プログラムの変更】
第483回定期公演でベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」のソリスト福井博子の都合で演奏会の前日に突然中止、代わりにシューベルト「未完成」(神奈川県立音楽堂)。
1993(平5)年6月29日【アイブス「交響曲第2番」など】
平成5年度は第487回定期演奏会でアイネム「フィラデルフィア交響曲」、第488回ではアイブス「交響曲第2番」、第494回ではR,シュトラウス「四つ
の最後の歌」など比較的演奏機会の少ない曲を取りあげる。(神奈川県立音楽堂)
1994(平6)年4月27日【スメタナ「わが祖国」など】
平成6年度は第495回定期演奏会でスメタナ「連作交響詩 (わが祖国)」、第498回ではボロディン「交響曲第2番」を演奏(神奈川県立音楽堂)。
同年10月26日【ヴェルディ「レクイエム」】
第499回定期演奏会、神奈川県立音楽堂開館40周年に寄せて「県立音楽堂とともに」の一文を小磯理事長名で当日プログラムに掲載(神奈川県立音楽堂)。
同年12月10日【第500回定期記念演奏会】
第一部 「青少年のための音楽鑑賞講座」〈ベートーベンの生涯と第九〉、第二部 第500回定期記念演奏会 ベートベン「第九交響出」他(県民ホール)。
同年12月20日【第500回定期記念演奏会祝賀会】
横浜市馬場助役、横浜市文化振興財団木下専務理事他関係者多数出席、会場横浜郵使貯金開館(メルパルク)。
横響記録誌の発刊。「横響《60年・500回の歴史》」として第200回演奏会以降の横 響の活動記
録を中心に編集集約し横浜音楽文化史に一足跡を記す。
1995(平7)年8月13日【ハーモニカ渡来100周年記念】
第505回定期演奏会でハーモニカ奏者崎元譲を招き、ムーディ「トレド(スペイン幻想曲)アーノルド「ハーモニカ協奏曲を演奏。
1999(平11)年5月13日【プログラムとサブタイトル】
この年度からプログラムにサブタイトルを掲載するよ うになった。535回<自然と音楽>536回<交響曲の流れ>等。
同年12月15日【横響・第九演奏会50回公演記念】
第540回定期演奏会の「第九」が1950年の第1回から数えて 50回の連続公演記録になった。
2000(平12)年10月15日【横響合唱団創立30周年】
第546回定期演奏会《バッハ没後250年》に「ミサ曲ロ短調を演奏し、30周年記念誌を発刊した。
2002(平14)年【横響創立70周年】
2003(平15)年6月15日【横響創立70周年記念演奏会】
第568回定期演奏会、ブルックナー「交響曲第9番」を演奏した。
同年7月25~27日【第31回全国アマチュア・オーケストラフェスティヴァル横浜大会】
横浜みなとみらいホ ール。曲目:指揮/岩村力/(バーバー)年弦楽のためのアダージョ、(グローフェ)グランド・キャニオン、
指揮/現田茂夫/(コープランド)交響曲第3番。
2004(平16)年【入場料金改定】
第577回定期演奏会から1000円、第九は1500円に値上げ。
同年12月22日【県立音楽堂開館50周年記念・横響第九特別演奏会】
音楽堂で最も多く定期公演している横響 が、第九を横響合唱団と共に記念演奏し、祝した。
2005(平17)年8月7日【マーラー「復活」】
第584回定期演奏会で、団員の最も希望の多かったマーラー「交響曲第2番《復活》」を演奏。楽器編成が大きいため会場を横浜みなとみらい・ホール(大)に移
した。(S)柳澤涼子(A) 庄司祐美(合唱)で好評あった。
2007(平19)年4月28日【小船幸次郎生誕100年】
横響創立者・小船幸次郎の生誕100年を祝して、第598回定期 演奏会に、自身の作品「祭りの頃」を演奏、続く第599回には「組詩曲《横浜1947年》」、第600
回には「琴と管弦楽」を演奏した。
横響編著「市民のオルガン-(小船幸次郎と横浜交響楽団)」 (2500円)を神奈川新聞社から発刊した。
同年7月29日【横響600回記念演奏会】
横響合唱団と共に「横浜市歌」、シベリウス「フィンランディア」、 ドヴォルザーク「交響曲第9番《新世界より》」を演奏し、終演後来場者と共に祝の宴を開いた。
2009(平21)6月21日【横浜開港150周年】
第615回定期演奏会。「横浜市歌」を開港50周年記念祭で初演され た編成で赤い靴ジュニアコーラスと横浜少年少女合唱団と共に演奏、その後現在の編成で横響合
唱団が加わり演奏した。小船幸次郎「組詩曲《横浜1947》」山田耕筰「《黒船》序景」ビゼー「《カ
ルメン》より」を演奏。
横響編著「横浜市歌」を発刊。来場者に無料配布した。市立各学校、各図書館に配布した。
同年12月13日【横響・第九定期公演60回記念】
第619回定期演奏会。プログラムに60回の歩みを掲載した。
2010(平22)年10月31日【横響合唱団創立40周年】
第626回定期演奏会。ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」(S)朴瑛実(A)布施奈緒子(T)君島広昭(B)井口達。記念誌を発刊。
2011(平23)3月11日【東日本大震災】
東北地方太平洋沿岸に大津波、福島第一原子力発電所事故発生。死者・ 行方不明者が約2万人の大災害となった。
同3月12日【震災翌日の演奏会】
第629回定期演奏会。まだ災害の規模ははっきりしない段階ではあったが、県立音楽堂には公演の支障がないということで、団員と来場者の集まりを危惧しつつ、リハーサ
ルなしで公演を決行した。ブラームス「大学祝典序曲」マー ラー「交響詩《花の章》」チャイコフスキー「交響曲第6番《悲愴》」。
同11月13日【横響気仙沼演奏会】
はまなすホール、横響団員50人が横浜からバス2台で気仙沼市を訪問。宮城県・気仙沼市教育委員会後援で、東北支援演奏会を開催。甲賀一宏指揮によるベートーヴェン
「交響曲第5番《運命》第1・4楽章」他管弦楽曲、みんなで歌う「ふるさと」「赤とんぼ」、アン コールに宮城県民謡「大漁唄い込み」など。来場者150名。
今年は創立80周年公演として第1回公演の曲目や各節目の曲目を各公演の
プログラムに散りばめた構成としている。2013年4月から長年使用してきた練習所の教育文化セン ターが閉鎖されるため練習所の移転が発生し、その準備期間となり、厳しい年となった。