ステージの上の風景

開演のベル。客席のざわめき。オーケストラのメンバーが次々とステージに。〜 演奏会開始の風景 そしてステージの上の風景

以前、東京のとあるオーケストラのお手伝いに行った時に、そこの音楽監督をなさっていらした故石丸寛さんが「ステージに出て行く時あなたたちは談笑しながらでも構わない。客席から見れば、それが、このオーケストラのキャラクターなのだから。そして、その時から演奏が始まっているのだから」とおっしゃいました。初期の頃の「題名のない音楽会」で、その頃流行っていた演歌のメロディーをテーマにしてバッハやモーツアルトやチャイコフスキーがオーケストラ曲を作ったら・・・、という興味深い企画で番組を作っていらしたかたで、プロの音楽家の言葉として、なるほどと思ったことがあります。

今までいろいろな海外のオーケストラの演奏会に行きましたが、お国柄と言いますか、それぞれの「個性」があるようです。民族性とは言いません。今やベルリン・フィルにも日本人奏者がいますし、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラでは以前十人近くも日本人奏者がいましたから。作曲家の芥川也寸志さんもおっしゃっていましたが、ロシア(当時はソヴィエト連邦)のオーケストラは整然と行進するようにステージに現れましたし、米国のクリーブランドオーケストラは、ステージに出てくる楽員の間を、どう見ても場違いな派手なプリントのネクタイをしたヒスパニック系のオジさんが動き回っていました。どうやらセッティング等を取り仕切るステージマネージャーだったようです。

指揮者も人それぞれで、昨年亡くなったロリン・マゼールさんは袖から指揮台までゆっくりとした足取りで「偉そうに」現れましたし、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督だった頃の小澤征爾さんはタッ、タッ、タッと小走りに出てきてピョンと指揮台に飛び乗ると客席に一礼、クルッとオーケストラに向きあい指揮棒を振り上げて演奏を始めました。まだ四十歳前後の頃だったと思います。年齢と体調不良の現在の状況からは想像できませんね。潔ささえ感じさせました。

演奏中の風景も同様で、フランスのパリ管弦楽団などでは、とても表情豊かで弦楽器の女性が隣の奏者とアイコンタクトをとり、フッと口元に笑みを浮かべたり、ホルン奏者のオジさん二人が難しいところなのでしょうか、吹き終わってから互いに顔を見合わせて「やったぜ!!」というように満面の笑みを浮かべていました。聴いているこちらも嬉しくなってきます。管楽器はどの曲も独奏のところがあり、そこでは身体を前後左右にに動かしながら演奏しています。管楽器に限らず、必要なことで、他の奏者たちへのテンポや旋律の表情をアナウンスすることでもあります。私も演奏中に指揮者だけでなく、ファースト・ヴァイオリンの首席であるコンサート・マスターやセカンド・ヴァイオリンの首席の方、場合によっては管楽器奏者をみて、タイミングを図ることは往々にしてあります。日本のプロのオーケストラはこの点では「おとなしい」と言いますか、あまり表情がないように思います。皆さん世の中の悩みを一身に背負っているかのような厳しい表情で、曲が終わってから立ち上がって指揮者と客席に向かったときにも無表情な方が多いですね。もっと「終わった!!」とか「精一杯やりましたよ!!」というような達成感を出してもいいのでは、と思います。

「クラシック」というと変に格式張ってしまいますが、「音楽」なのですから、Popsやロックまでとは言いませんが、ステージのうえも、客席ももっと表情豊かに楽しんでもいいのではないでしょうか。

(モンチッチ)

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