フルートの発音メカニズムと呼吸

リード楽器って聞いたことあるでしょう。

Reed:管楽器の発音体として使われる葦の木から作られた薄い板

Read:読む

Leed:日本の音響機器メーカー

Lead:優位な状態、先導しているという意味

  フルートはリード楽器に分類されている。クラリネットやサキソホォンは1枚のリードを用い、オーボエやファゴットは2のリードをそれぞれ振動させて音源とする。それぞれシングルリード楽器、ダブルリード楽器と称する。

 フルートや尺八、には発音体としての目に見える薄片がない。奏者が自分の呼気で、薄い板状の空気の束(エアービーム)を作って、その下側の一部分を楽器に開けた歌口の角に当てると、空気の流れに乱れが生じて、これを振動源として管体の空気が共鳴して音が鳴るのでエアーリード楽器という。

  フルートの実際の発音メカニズムは次のような順序になる。

(ここからの参考文献:吉川 茂著「ピアノの音色はタッチで変わるか」、ミシェル・デボスト著「フルート演奏の秘訣」、菊池有恒著「演奏のための楽典」)

①空気を吸い込み腹の支えを準備しながら

②唇の隙間を舌の先端で塞いで口の中の空気の圧力を整える。次の瞬間に

③舌を少し引っ込めて、歌口のエッジに向けて静かに呼気を吹き出す。

④整流で流れ出た空気ジェットはその一部が歌口のエッジにぶつかって流れが乱れる。

⑤乱れはジェットの上流(唇の出口)に遡上し、ジェット全体が揺れ始める。

⑥この乱れが、歌口の内部に伝わり、フルート内部の空気を振動させて音が出はじめる。

⑦ジェットがあたかも旗が上下にはためくようになると音程の安定した音になる。

  フルート吹きの発音の段取りとして、上記のように7つの段取りがあるので、音を出す前に若干の時間が必要である。高音域では空気ジェットは幅狭くスピードを速くし、低音域では幅広くスピードは遅くする。段取り③から安定した音⑦になるまでの時間(これをトランジェントという)は音程によって変わり、高音域では短く、低音域では長い。

 低音域でパイプオルガンをモデルにし、空気に煙を大量にまぜて可視化し、高速度デジタルビデオカメラで撮影した映像を解析したデータでは、トランジェントは0.5秒ぐらいという。

 実際の演奏現場では、さらに、その前にフレーズをどのように吹くか、ppで吹き始めるか fで吹き始めるのか、ニューアンスを決める時間も必要で(こちらの時間の方が長いような気がする)、指揮棒が降ろされたら直ちに音が出せるわけではない。パリ管の首席奏者だったミシェル・デボストは熟練しても数秒はかかると述べている。

 よく、良い指揮者や良い演奏家は「呼吸が大事だ」と云う。菊池はその著書の中で「出だしの音をよく感じて弾き始める人と、無造作に、唐突な感じで弾き始める人とでは、音がでる以前の気持ちや、気迫に大きな差が出るものである。コンクールなどでは、音が出る前の呼吸と、最初の一音だけで当落の決着がついてしまうと言っても過言ではないくらい、出だしの呼吸と、最初に出す一音は、曲の全体を支配するほどに重要で、決定的なものになる。だから心の中で拍を感じつつ、その曲に見合った呼吸をしてから弾き始めることが大切だ」と述べている。指揮者も同様に奏者に対して同じだと思う。

 また、吉川によれば「楽器の一番顕著な特徴はトランジェントの部分にあり、聴衆はそれを手掛かりにしてオーケストラの各楽器を区別しているのである。」という。美しいと感じてもらえるのもこの部分が重要に違いない。だから私は音の出だし(アタックと云うと、きついニューアンスなので使いたくない)こそが笛の命であると感じ、音出しの前に慎重に唇と歌口エッジの位置をきめ、呼気を整え、唇の開き具合や舌によるバルブの開き方をイメージするようにしている。

 私の呼吸と指揮者の呼吸が合わない悲しい時(それはアウフタクトの出だしの場合に多いが)にはどうしていいのか分からず、指と呼吸の同期も乱れて悲惨な結果になる。

 美しい音って何だろう?

 どのような息を、歌口のエッジのどこに吹き付けるかによってそれは決まってくる。思えば何十年もの間、私は仕事と家事や睡眠の合間に、数値に表せない「どのような」「どこか」を探し続けて来た。エアーリードとは儚いもので、ある日美しい音が出たと喜んでも、その瞬間のエアージェットの厚みや勢い、エッジのどこにジェットが当たったのか数値で残すことは出来ない。唇の状態はもちろん、口腔の形状も日々変わってしまう。この時の状態を失いたくない一心で毎日欠かさず笛を手に取るのである。 

 再現出来ぬもどかしさと闘いながら、いつの間にか終点が近づいてしまったようだ。年末恒例の「蛍の光」を吹きながらそう思った。

 

横浜フイルハーモニー交響楽団の演奏会をきいて

11月23日みなとみらい大ホール

指 揮:田尻真高  1984年生まれ(30才?) 芸大指揮科卒 小林研一郎、山田和樹に師事

ピアノ:斉藤 龍  1981年生まれ 希望ヶ丘高から芸大出の若き男性 

曲 目:ニールセン 「ヘリオス」序曲 op.17

    グリーグ  ピアノ協奏曲 a moll op.16

    シベリウス 交響曲 第2番 D dur op,43

入場料:1,000円 (私はシルバー料金で500円)

  客の入りは9割ぐらいだろうか 落ち着いた年配者が多い。

  先ず驚いたのは合奏の精度の高さだった。ピッチも縦もよく合っていてほとんど音を外すことはない。ホルンですら(失礼な言い方だが)音を外さない。十分に練り上げられたアンサンブルであった。正直、うらやましかった。

 で、どんな練習方法を採用しているのかホームページで調べてみた。

  練習場はおもに睦町の横浜青年館。2つある音楽室と多目的ホールを毎月3回土曜日の夜借りている。ここには全員合奏できる広いホールが無いので、弦と管に分かれて分奏練習をする。あとの残り1回の土曜日は「フォーラム戸塚」その他大きなホールで全体の合奏練習をやる。本番の前は全体合奏の回数を増やすらしいが、ほぼ6ヶ月間これを繰り返す。だから分奏の回数が断然多いのが特徴である。

 私が最初に心配したのは、演奏会の都度、別の新進気鋭の指揮者を招聘しているので音楽の作り方も毎回違うだろうし、それを分奏の指導者はどのように調整しているのか、また、分奏で音程を合わせる指導が出来る人材をどのようにして確保しているのか。ということだった。が、トレーナーの名簿をみてこれならできると納得してしまった。 

 分奏の指導者(トレーナー)としてVnに田口美里さん(都響団員、斎藤記念オーケストラ、日本音楽コンクール第1位)、Vc.に松岡陽平さん(都響副首席)、Vaに堀江和生さん(都響団員)、C.B.に渡邊章成さん(都響副首席)、Fl.に さかはし矢波さん(東フィル団員)と現役のオーケストラプレーヤーたちが名を連ねている。

  演奏は上述したように素晴らしかったが、フルートのソロがもっと輝いていれば、さらに良かったのにと思う場面がいくつかあった。フルートは4名、全員女性で、前、後半で入れ替わったが、皆さん大人し過ぎるのである。わたしは芥川也寸志先生から頂いた次の言葉を今も大事にしている。「オーケストラを人の体にたとえれば、木管は顔だ。フルートは眼、口である。フルートは生き生きとしていなければならない。そうすればオーケストラも美しく響く。」 「ときにはピッチを外してもキンラキラキラとやってほしい」。

 フルートが響かなかったのは、みなとみらい大ホールの音響に若干の問題があるのかもしれない。  私がこのみなとみらいホールで演奏した経験は2回だけだが、その時のリハーサルで、降り番の団員数人がバランスを聴いてくれて、木管の一列目の音が響かないことがを知らされた。こんな立派なホールでも弱いところがあるんだと思ったものである。

  横フィルの演奏会の4日後、11月27日(金)夜、神奈川フイルの定期を聴いた。会場はみなとみらい大ホール、席もほぼ横フィルのときとほぼ同じ場所である。演目はサッシャ・ゲッツエル指揮でコルンゴルトのシンフォニエッタ op.5 そのほかであった。

 シンフォニエッタはチェコ生まれのコルンゴルト(1897~1957年)15才の時の作品で、40分を超す超大作である。モーツアルトをしのぐ神童といわれる彼のこの作品を聴きたくて、当日予定の横響の練習は代奏をお願いして休んだ。

 期待にたがわず良い作品で見事な演奏であった。神奈川フィルのフルートは山田恵美子さんである。もちろんしっかり聴こえた。本拠地であるから当然のことだが。

 ホールには音響の特性がある。それを察知してバランスを修正するのも大事である。

 次の一文は山田淳子著「ドラッカーとオーケストラの組織論」からの引用で、ホールの響きに方よるバランスの修正が指揮者の大事な仕事の一つであると指摘しているものである。

「オーケストラの演奏家が演奏上、受け持ちえない要素の一つは「聴き手としての耳」である。あたり前のことであるが、自分の音を客観的に聴くことは出来ない。コンサートホールの客席で私たちが聴く音は、楽器から出た音がホールに反響して響いた、その響きも加わった音だ。だから、客席で感じる音の聞こえ方は、演奏家が聴いている自分の音とは違う。そして、オーケストラの場合、客席で聴くのは個々の楽器の音でなく、楽器の音がブレンドされた、オーケストラとしての響きである。だから演奏家には、自分に代わる「耳」の役割を果たす人物が必要なのである。」

 私もいろいろな指揮者のもとで演奏したが、この事項をきちんとやってくれた方は半数位である。指揮台で聴く音響と客席で聴く音響は違う筈である。進言したこともあるが、ステリハで精一杯の感じで無視されたので、その後は言わないことにして、客席に置いたレコーダーで時々チェックしている。

 

 横フィルの生い立ちをたどると、1960年台後半に横響への入団希望者が増えたので、小船先生がいわば二軍として作った横響ジュニアーオーケストラにさかのぼる。それが成長し、大きくなって、独立した演奏会を持ちたいと横響を脱退して1977年に横浜フイルが誕生した。さらに1984年にはそこから横浜管弦楽団が分離独立した。以来、それぞれ運営の苦難を乗り越えて3者三様の道を歩み、違うスタイルのオーケストラとして今日存在する。10月12日には横浜管弦楽団の演奏会も聴いた。ここには指揮者原田さんと彼を取り巻く友情と和があり、音楽の質よりもそちらの方でうまくいっていると思う。

 合唱団を抱えている横響にしかできないことはたくさんある。しかし、オーケストラの演奏技術だけ比較すれば横響は横フィルに先を越されたと思った。

 それにしても、まず練習場ありき、でそのことによって、オーケストラの質まで変わってしまうのに驚かされた次第である。

オーケストラとパワーハラスメント

オーケストラとパワーハラスメント

「パワーハラスメントとは職権などのパワーを背景にして、本来業務の適正な範囲を超えて、継続的に人格や尊厳を侵害する言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安をあたえる」と定義されている。

 厚生労働省が示したパワーハラスメントの6つの典型例の一つに「脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)」がある。 

 さて、N響の90年近い歴史の中で1936年から10年間指揮をとったローゼンストックは厳しい練習で団員を恐れさせたことで有名で、当時の団員から「あの人の指揮法は或いは残酷といってもよいほどだった」とか「練習では少しのミスでもよく怒った。どなってタクトをぶん投げた」とかいわれている。一面「あの頃の定期演奏会では私達はみんなが決死のつもりで演奏したといっても過言ではない程、身の入れ方もすごかったですよ。これさえよく出来れば死んだって構わんと云った意気込みでしたね。正にローゼンストック先生とメンバーの闘いでした」とも回想されている。

 その「ローゼンストックの何十倍も怖い人」と岩城宏之に言わしめたシュヒターが1959年からN響常任指揮者として登場しN響を制圧する。そして1962年退任するまでの3年間に実に団員の3分の1を首にした。演奏が気に入らないと頭にきて怒鳴る、そのパートを偏執的なまでにやりなおさせる。「あまりの練習の厳しさにノイローゼのようになり、本番の前の晩、睡眠薬を飲み、明け方から呼吸困難になって、ついに夕方亡くなった楽員があった。自殺かもしれないという噂も出たが、とにかく楽員全員が、シュヒターの完璧主義の前に異常な緊張状態で一年中過ごした。」と岩城宏之は著書の中で回想している。

そしてN響の技術水準は飛躍的に向上したのも事実であろう。

(以上は佐野之彦著「N響80年全記録」、岩城宏之著「チンドン屋の大将になりたかった男」、原田三朗著「オーケストラの人びと」から引用させていただいた)。

 

 50年以上前の事だから今のようにパワーハラスメントが問題にならなかったし、労働組合もなかったので、とにかくシュヒターが3年の契約を終わって帰国したときは、楽員誰もがやれやれとホッとしたそうである。今だったらどうなっていただろうか。

 近年、神奈川フイルのコンバス首席奏者2人の楽員が解雇され、不当解雇として横浜地方裁判所に訴えた事件では一審は原告が勝利したと聞いている。裁判沙汰はもとより、学校のクラブ活動でもハラスメントが大きく取り上げられる世の中で、シュヒターのやり方が今ではとても通用するとは思えない。しかしオーケストラは簡単に言えば芸人の集団である。100人近い団員の一人でも間違えれば夢のような世界はぶち壊されてしまう。そんなことが度重なればお客は減り、オーケストラは経営難になるだろう。だから淘汰されるのはやむを得ない。プロの道は厳しい。

 一方でカラヤンを40日間N響指揮者として招聘した1954年に指揮研究員としてカラヤンに指導を受けた岩城宏之によると「カラヤンは常に静かにリハーサルをした、誰もがみんなの前で恥をかかず、カラヤンの意図どおりに、まるで彼らがやったような自主的な気持ちになって音楽できた」と云う。

「みんなの前で誰かひとりを徹底的にやっつけてしまう独裁者ぶる指揮者は無数にいる。カラヤンのようだと、みんな安心して快適に演奏することができた」とも書いている。

 そして重要なことはシュヒターが残した演奏のレコードをきいた原田三朗が「アインザッツはよく合っているし、全体の音も合っているが、かんじんの音楽性が感じられない。音楽の解釈は平凡で、音楽も単調でつまらないのである。」と書いていることである。

 団員をしごいてしごき抜けばよいものではないようだ。指揮者とは大変な職業である。

 

 ひるがえってアマオケの立場はどうだろう。

 団員はそれぞれ社会で立派に職業を遂行しながら、オーケストラの魅力に執りつかれて、夢を持ち続けて集まってくる人たちである。しごかれにやってくるわけではない。難曲に技術が追い付かず間違えた時はうまくやっている仲間に申し訳ないと思うが、上手な指揮者に乗せられてうまく出来ちゃったときの喜びはたとえようもない。

そして区切りをつけるために演奏会を開き、皆さんに聴いていただくのである。

 先日、溝口の市民ホールで川崎マンドリン倶楽部の第73回定期演奏会を聴いた。戦後まもなく高校の先生をしておられた市川先生が同好の士を集めて結成し、一年に1回のペースで練習の成果を市民にご披露している団体である。

 市川先生は器用な方で、戦後、ファゴットが手に入らなかった時代に、ご自分でコピーをして設計図をつくり、材料をさがし、学校の旋盤を回して加工し、ついに手製のファゴットを作り上げたことで当時有名であった。(そのファゴットは新響で息子さんが永く愛用していた。)

 マンドリン倶楽部も先生亡き後はご子息が指導指揮をしている。オーケストラと同じくマンドーラ、マンドーチェロ、ギターにコンバス木管4部にトランペット、打楽器を加えたフル編成のマンドリンオーケストラにプロのギタリストを独奏者に招いた本格的な演奏会である。演奏会は特にマンドリンの右手のトレモロが美しく、指導が隅々まで行き届いた見事な演奏で、司会も含めて心温まる演奏会であった。そして入場料は無料である。私はここにアマオケの原点を見た思いがした。

 

 パワーハラスメントから脱線したが、プロとしてオーケストラプレ-ヤーになろうとする人にはそれだけの覚悟をしていただくしかない。淘汰されるべき人はやさしく扱われたとしても所詮淘汰されることに変わりはない。音大もそれなりの教育(職業選択肢を幅広く設定できるような)をすべきではないだろうか。

 それにしても日本では多くの指揮者がローゼンシュトックに傾倒した斎藤秀雄の門下から輩出しているためどうしてもローゼンさんのスタイルを継承している方が多いように私には感じられる。その孫弟子たちも同じである。しかしアマオケに対する場合は注意深く言葉を選んでカラヤン、コバケンさんの流儀でお願いしたいと思う。今はこのハラスメントと云うことに敏感な時代なのである。

はじめてのクラシック2015を観て

放送 BS151 8月23日(日)20:00~20:46

「オーケストラっておもしろい」

企画、解説:一枝 成彰

指揮:小林 研一郎

演奏:東京交響楽団

 

問:なぜオーケストラに指揮者が必要か?

一枝:無くてもできる場合もある。小編成のオーケストラで指揮者無しでやる場合もある。しかし40人~50人と大勢になるとどうしても揃わない。どうしても指揮官が必要になる。そして、まとめると同時に音楽の作り方が指揮者により異なる。たとえば同じベートーベンの第5交響曲の演奏(時間)がフルトベングラーは45分、トスカニーニは25分と異なるがこれは音楽の作り方が両者違うからである。

 

問:指揮者とオーケストラの関係

小林:心がけていることはオーケストラ全体が炎となってある地点を超えて崇高なところで眩く輝くためにどうしたらいいかということなんです。(手を横に出して)この辺で音を出して、合っていたって云うんじゃお金は取れません。来て下さった方を満足させることは出来ません。それからオーケストラ自身も満足しないでしょう。すべての人が満足しない世界に誘いたくはないのです。となると、共有する空間が1秒たりとも心の中で沸々と滾る(たぎる)時間帯になるためにどうするかということが(リハーサル)の目的です。だからリハーサルにもいろいろ策を用いることもあります。

 

問:オーケストラ団員とはどういう人でしょうか?

小林:一言で云うと天才の集団です。その楽器を持たせたらおそらく世の中で自分に匹敵する者は居ないだろうと云うくらい自信を持っていて、そしてオーケストラをとても愛していて、ソリストとして成り立うとしているのではなくて、オーケストラという機能美の中に自分の身を置くことによって自身を極めることが出来るという高邁な精神に満ちている方々です。したがって(リハーサル中に)指揮者がいろいろなことを云うと、どこかの言葉の中で(その人を)傷つけてしまうような言葉が飛び出ないとは限らない、ですよね。それは人生を過ごしてきた人に、なにかイチャモンをつけるよう(なこと)にならないようにしないと、作曲家によって書かれた眩い宇宙のような世界がゴミになってしまいます。そういう意味では指揮者とオーケストラの関係というのはとても複雑でデリケートで、しかしながら絶妙に進んだ時にはとてつもなく眩い宇宙が誕生するということがあります。

(以上は発言を忠実に書き留めたものです)

 

・・・ここからは私の感想

実際、リハーサルの録画の中でも小林さんはプレイヤーにいろいろ注文をつけるが、「こうしてくれると嬉しい」「有り難うございます」「素晴らしい」「ごめんなさい」などを必ず付け加えている。彼は苦労人なんですね。

 

昔、1961年、N響(運営委員会)が指揮者小澤征爾さん(当時26か27歳)をボイコットし、小澤さんがただ一人で指揮台に立ったN響事件をふと思い出す。

その原因についてはさまざまな見解が残されているが、私が当時個人レッスンを毎週受けていたN響の団員で敬愛すべき高橋安治先生も含めて団員側からの真相の記録がほとんど無いのは不思議なことである。

当時小澤さんのご両親は満州から引き揚げた後に川崎市幸区で歯科医院を開業していて、その近くで華道「池坊」の先生をしていた私の母親を介してお母さまから征爾のアメリカ土産として当時は珍しかったキャンドルを頂いたご縁もあり、N響事件はどちらが悪かったのか決めたくは無いが・・・

 

同じころ財政破綻で自主運営に追い込まれていた東京交響楽団を少しでも助けようと奔走した芥川也寸志先生の企画でアマオケとしては集客力のあった新交響楽団と東響との合同演奏が開かれた。私はそのころ猛烈サラリーマンの一人であった(と自負している)ので火曜金曜の横響の練習に出ることが出来ず、土曜の夜を練習日としていた新響に移っていて、フルートのアシとしてプロに交じって「ローマの松」を吹いたのだが、リハーサルで東響のクラリネットに対し、指揮者秋山和慶が「そんな所帯じみた音を出すな!!」と怒鳴った。秋山さんはまだ20才代、クラリネット奏者は多分40才過ぎたぐらいの方だったと思うがその方は黙って俯いてしまった。いま思い出しても可哀想で「女房、子供もいただろうに」と思う。 

 

時を経て7年前の事だが当時在籍した都筑オーケストラに横島さんの代振りに来ていた若い洗足学園音大付属指揮研究所出身の指揮者とオケメンバーの若い女性との会話を偶然耳にしてしまった記憶がある。

女「女には蜂の一刺しがあるから強いわよ」 

男「指揮者には口撃があるさ」「オケでは指揮者の一言でダメージを与えられる」

洗足学園では最近この付属研究所を廃止したそうだ。何を教えていたのだろうか? 

昨年、その都筑オケ団長に用事があって練習場を訪れた時、偶然その指揮者が来ていたが相変わらず彼のポジションは代振りで、仕事がなくて苦しんでいるようだった。 

 

指揮者がカリスマ性を持つのは一つの武器だとは思うが、実力があれば温厚な指揮者だって団員は惜しみなくその力をだしてくれると私は確信している。中学生時代に軍事教練を受けた私の世代ももう残り僅かになり、平和に教育を受けた人たちが活躍している時代である。オーケストラを率いる方々もバトン技術とともに人間の心理を学び、適切な表現が出来る発言力を身に着けて新しい指揮者像を確立すべきではないか。と思うこの頃である。